2009年9月25日 (金曜日)

チェ・ゲバラ

Cheguebara002  チェ・ゲバラ、<本気で世界を変えようとした男>である。彼についてはあまりにもよく知られていて、あまり細かく紹介する必要はないだろう。

 人間の感情は時として脈絡のないものだ、まるで性欲のように…。昨日のことだった。僕は鳩山総理が国連でCO2削減目標などの演説しているのをテレビで見ていた。話の内容は耳をスルーし、僕の眼は演壇の後ろの青緑の石壁を見ていて直感的にチェ・ゲバラを思い出した。1964年、同じ演壇でチェ・ゲバラが演説していたシーンを以前見た映画の記憶が蘇った。
 石壁は色も形も変わっていなかった。違うのは日本の総理が、過去に例がないキチンとした演説をしていることだけだった。過去の総理は漢字を読めなかったりしていたが、鳩山由紀夫さんは分かりやすい英語で話しかけていた。世界に対して歴史的な発信とも言える。

 チェ・ゲバラの評価は様々だ。しかし、偉大な革命家であったことは事実だ。キューバ人ではないが(アルゼンチン生まれ)、一部の産業資本家が理不尽に貧困層をバタバタ死なせている現状に業を煮やした。フィデル・カストロと手を組みキューバを救った。そもそもゲバラの思想は「マルクス・レーニンによる共産主義」とはまったく異なるものだった。しかし、来日した時も時代的な背景もあり、新聞などでは大きく取り上げられなかった。

 日本人は穏健で勤勉で利巧な民族である。草食的で自己を犠牲にしても「世間体」などにこだわる一面も持ち合わせている。ウサギや羊などに似て群れを大切にして暮らすという部分も垣間見られる。だから、テロりスティックなゲバラなどは受け入れにくいのかもしれない。ゲバラが日本に来た時、「日本人はアメリカに、なぜ原爆の責任を迫らないのか?」といった言葉が印象的だ。彼は大阪に宿泊した時、夜中にそっと抜け出して広島に列車で向かった。そしてヒロシマの平和記念館などを訪れている。
 日本では旧政権下では<天下り>などという理不尽なことが堂々と行われていた。今も事件化しているが、政府の補助金を毎年交付してきた精神障害者団体が、自民党の政治家に裏金を渡していたという報道(全精社協事件)が伝わってきている。カネに関して一蓮托生の姿はかつてのキューバとなんら変わりない。しかし、穏健な羊たちはじっと息を殺している。とにかく、『余計なこと』には口を挟まないのが民族的しきたりなのだ。天下りには文句こそ言え天誅を加えることはなかったが、これからは少しづつ改善されるのだろうか。

 鳩山総理が国連で立派な演説をした、チェ・ゲバラが35年前に立ったと同じ演壇で。民主党は血を流すことなく「政権交代」という小さな小さなリボリューションを果たした。これから内容が伴わなくなったり、かつての自民党政権の時のように腐敗臭漂う国土に戻すなら、それこそチェ・ゲバラのような反乱軍が必要となるだろう。

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2009年9月 2日 (水曜日)

地デジ?~マスコミは社会の公器か

Chideji001  日本のマスコミというかマスメディアは昔から「社会の公器」ともいわれます。もっとも、最初にそういったのは彼ら自身で、その喧伝はずいぶん国の隅々まで行き届いているようです。しかし、彼らはあまりその<社会的責任>は果たしていないどころか離反した行動が目立ちます。
 たとえば新聞社は紙の確保のため、膨大な森林伐採を繰り返している。しかし、自分たちの所業は不利になるためその辺のことは一切報道しない。多少後ろめたいのか、以前<古紙を50%使っています>という販促用のパンフを出したが、嘘がバレてからは口に出さなくなった。とにかく自分たちにとって不都合なのだ。ちょっとおかしい。

 テレビが2011年に地デジに完全移行する。<アナアナ交換>という言葉が最近目につく。これはアナログ放送局の周波数をデジタル放送用に周波数を対応させる装置のことです。これには相当な先行投資が必要で2000億円以上と言われている。解せないことにこれを税金(国民負担)で賄うという。テレビ局の負担はゼロ。これまたちょっとおかしい。
 さらに経費はそれだけではなく、低所得者260万世帯にはデジタルチューナーを無償支給されるが、全部で約600億円かかる。さらにさらに、全国に建てられるデジタル放送用の中継塔におよそ1兆円を投資する。実はこれらはすべて税金なのだ。
 電波が使えるからテレビ局は商売ができる。しかしテレビ局はその使用料として払う金額はスズメの涙。衆議院議員、河野太郎氏のブログにはこう書かれている。NHKの年間営業収益は約6700億円あるが、電波使用量はわずか0.18%、フジテレビに至っては3700億円の収益に対し、たったの0.08%しか払わないのである。聞くところによると、ケータイ電話の利用料金からも強制的に徴収されている電波利用料(年間685億円)も使われるんだとか。ワケがわからない。

 マスコミがその社会的な責任を果たしているなら何も言わない。新聞は無駄にパルプを消費しているだけになってしまった。日本の新聞を憂いている一人の村上春樹さんは、エッセーで「無駄な記事ばかりで内容がないから新聞はとらない。不必要な記事を削ったクオリティ・ペーパーは日本にはない(村上朝日堂--はいほー!)」と書いていた。たしかにね・・・。
 それでテレビはというと朝から晩まで下らない番組(下るか下らないかは人によりけりですが)の垂れ流し、、たまんないね。これこそが資源の無駄遣いでもっと必要なものを吟味してせめて30%でも減らせないもんですかね。それどころか、地デジに移行するため5千万台のアナログ・テレビは国の施策で2年以内に強制廃棄されるんだとか。今までの政府は いっぽうで「環境に優しいエコの国づくり」を叫んできた。過去の総理の一人は「美しい日本」ともいってたなぁ。聞いてるほうが恥ずかしくなっちゃうね。

 一般の日本人はよほど我慢強いのか、またはどんなことをされてもマスコミは必要だという観点なのか、それともマスコミは大きすぎてものを言うことを最初からあきらめているのか、はたまた自分たちの不都合なことは一切報道しないマスコミが利巧なのか・・・・・。
 いずれにせよ、地デジのすべてが悪いわけではない、しかしなぜ地デジに移行しなければならないのかという説明責任はあると思う。政権が代わってもここまで来ては手遅れなのかなぁ。庶民レベルの生活を知らないっつーか、経済観念のない官僚たちと、一蓮托生のヒモのような企業の癒着構造に対して早く除草剤を撒いてほしいなぁ。

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2009年8月11日 (火曜日)

自由への渇望

Whitebear001  動物園が好きでいままで何度となく訪れました。結構あっちこっちの国に出かけては様々な動物を見てきた。見ているといくら時間があっても足らないくらいにも思うし、実際動物園なかりせば、一生お目にかかれなかった動物を見ることができない。でも、心のどこかに動物を檻に囲っているという罪悪感が、のどに引っ掛かった魚の小骨のように残っているのも事実だった。僕は動物愛護協会とは何の縁もありませんが、個人的にそういう感想を持っています。

 さて、最近ベルギーの刑務所で相次ぐ受刑者の大脱走が起こっているんだという記事を見ました。中には観光用ヘリコプターをチャーターして刑務所の中庭に降り、ササッと数人が逃げたなんて言う本格的な(?)例もあるんだとか。こうなると映画のようです。へ~、そうなんだ。
 そして、よくよく記事を読むとベルギーには「脱獄」という罪はないんだそうだ。あそこの国はフランス革命を背景として、19世紀当時の刑法の影響から----人類の自由への渇望は縛れない----とした
理念から脱獄を犯罪とはしていないんですね。脱獄囚がふたたび逮捕されても、残りの刑期を務めればそれで万事OKということ。まぁ、そういうことなら誰でも檻の中から脱走したくなりますよね。もうこうなると一種のイベントか競技のようになってしまって、罪もないのに収監されて脱走を試みる、、、誰かと賭けをして・・・、まさかそんなことはないでしょうがつい考えてしまいます。

 「大脱走」という映画をご記憶ですか?第二次世界大戦中の1944年、ベルリンのドイツ空軍基地の収容所から集団脱走した実際にあった事実を基にした映画でした。僕は高校生の時に見ました。最後まで逃げたジェームス・コバーンがカッコよくて今でも印象に残っています。
 「ショーシャンクの空に」という映画も忘れることのできない傑作です。無実の罪で刑務所入りした銀行員が、20年かけて冤罪を晴らすべく脱獄する映画です。彼が房の壁にあけた穴をふさいでいたのは、最初リタ・ヘイワースだったのが、やがてマリリン・モンローからラクエル・ウェルチへ代替わりしていったのが時間の経過をみごとに表していたのが印象的でした。

 写真の白熊くんは動物園の檻から脱獄を狙っているのかどうかは分かりませんが、ほんの少しですが気の毒だなと思うときもあります。でも、僕たち人間だって「法」の元に多少の縛りがあるんですからまぁ、何とも言えません。あり得ないことですが、すべての人間が良識と思いやりを持つなら「法」は無用の長物なんですね。<人は法の元に平等>という図式は永遠に変わることはないんでしょうね。人間て言うのはそういう風に作られているんですから・・・。
 ♪毎日毎日ボクラは鉄板の、上で焼かれて嫌になっちゃうよ・・・・、、、ある朝、僕は店のオジサンと、喧嘩して海に飛び込んだのさ・・・・・

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2009年8月 4日 (火曜日)

新聞販売店は早期に労働組合を!

Seven001  ビッグニュースだ!ついに「新聞」の電子化が一般化された。今までも形式的に存在したが今度は大きなレールに乗りそうだ。

 今日の話題は新聞紙面がまったく同じレイアウトでパソコン画面で見られるようになったというニュース。山間僻地でも海外でも、ネットにつながればそれだけで問題はなにもない。しかも、1度購入すれば、最低2年以上の期間は何度でも読め、新聞によっては印刷も可能だ。1紙ごとでは100円~かかるが、月極め購読なら割安になる。
 この電子新聞の強みは新聞社がこのシステムを個々に開発する必要がなく、電子版を配信するだけ、しかも受け手の購読者はなんのソフトもいらず普通にIEなどのブラウザで簡単に読むことができる。
 これは新聞社向け画像配信システムなどを手掛けるウェイズジャパン(東京都新宿区)が8月3日、電子新聞販売サイト「新聞オンライン.COM」をオープンしたためで一気に新聞の世界は変わるトリガーが引かれた。まだ地方紙7社くらいだが、いずれ全国紙も追随するに違いない。年内50社を目指しているそうだ。
 文字の大きさも自分の好みに合わせられ、写真も文字もビックリするくらい美しい。ちなみにこちらをクリックすると、見本のトップ面だけだが無料で見られる。(こちらから入って「立ち読み」をクリックする)⇒<新聞オンライン.COM>

 

 これなら新聞用紙のために毎年数千万本のパルプ材を伐採する必要もなくなる。配達ミスもなくなり早朝一斉にネットで流れるからポストに配達されるのを待つ必要もなくなる。なにより1カ月タダにしますとか、ビール券をあげますという個別の不条理は解消されるだろう・・・たぶん。
 新聞は一方的な購読料を付け、家庭によってのサービスの相当な格差だけではなく、膨大な紙を使うことが地球規模の環境破壊になっていることを繰り返し書いてきた。新聞は現代の伏魔殿なのだ。

 すでに紙面と画像や動画がリンクする技術(リッチコンテンツ)が開発され活用されている。たとえばスポーツ・ニュースなど、イチローのメジャーリーグだけで2000本安打の瞬間などがクリックすると動画と音声で見られるというような。ハンバーガー店の募集広告もクリックすれば動画で見られる。簡単に言うとテレビと新聞の合体に近いもの。業界では以前からクロスメディアと呼ばれていた。

 問題は新聞販売店の切り捨てが実行されることだ。いままでその販売店が日本の活字文化を支えてきた。今の新聞社は経営に苦しんでいる。昨年の朝日新聞社は103億円の赤字だった。
 それが、ネット販売で今と同じ購読料で売れるなら、①販売店に支払っていた経費がそっくり浮く②高額だった用紙代と輪転機やインク代はゼロになる③輸送コストや社屋のスリム化などは経営に大きな貢献をする、④ネットは流しっぱなしなのでメンテナンスに経費が要らない、⑤今までのように部数をごまかす必要がなくなるので広告代も正常化するかもしれない、、などなど・・・経営は一気に安定化する。特に販売店に対する経費は新聞社ごと、販売店ごとに違うが、およそ月極め購読料の半額に相当する。
 電子化した場合、新聞の製作原価は試算だが月々200
円に満たない。それ掛ける部数だから気が遠くなるほどの利益になる。((産経新聞はすでに月額315円で販売している。産経の場合は僕がペナンにいた頃から電子新聞を手掛けていたので、もうそろそろ8年くらいになるかも)

 コンビニ最大手のセブン・イレブンの販売店主たちが労働組合を創設し、ついに東京で決起大会が実施された。ここに至るにはものすごく厳しい道のりだったろう。巨大な資本と権力が彼らを支配していたのだ。それが実現したのだ。日本の古い財閥支配的な終焉であり、政治的な政権交代のうねりを感じざるを得ない。
 新聞販売店も早期に組合を作るべきだと思う。セブンイレブンの比ではない圧政の元に日常は支配されている。「組合」と囁いただけでクビになるかもしれない。それでもこれからを見据えると迷っている暇はないはずである。この場合早期に結成することが肝要である。

 それもこれも新聞に関して言えば国が許容している「特殊指定(再販制度)」という問題にぶち当たるだろう。今後の成り行きは予断を許さない。
 まだ本が再販指定商品だった頃、村上春樹さんが「----出版業界の複数の人から、「村上さん、再販制度の問題ではあなたは余計なことは言わないほうが良いですよ」とやんわり釘を刺された。要するにこれはかなり険呑な問題なのである。この業界は出版も販売も、「再販制度は善、正義である」という統一見解でがっちり一致団結している。下手に口をはさむと袋叩きになりかねないという雰囲気さえある。(中略)僕が言いたいのは(マスメディアの)「文化を守れ」的な声高なメッセージ、一方の利益当事者であるメディアによって好きなだけほいほいと流されている現今の状況は、あまりフェアとは言えないんじゃないですか、----と書いている。(朝日新聞社刊=村上朝日堂はいかにして鍛えられたかより)

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2009年7月 8日 (水曜日)

新聞社の悪行が暴かれる時が来た

Npuso001  何度も何度も訴えてきましたが、ついに巨悪の新聞界を撃破する真実の扉が開かれようとしています。もうここまで来ると時間の問題かもしれません。
 今日のニュースではーーー「読売新聞社」が「新潮社」を相手取り、慰謝料など計5500万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こしたーーというものです。しかし訴えた読売新聞社に勝ち目はないような気がします。誰がどう考えても記事のほうに真実味があるからです。

 問題になった記事は「週刊新潮」の今年6月11日号に掲載されたもので、読売新聞公称部数約1000万部のうち、30~40%が実際には販売店から読者に販売されずに処理されているという指摘、そのことで読売新聞社は年間約360億円の不正な販売収入を上げているほか、不正な広告収入も得ていると書かれたことに起因しています。

 実際、何パーセントの新聞が配達されてないかは闇の中です。新聞社はひた隠しにしていますから。かつて廃棄している新聞が52%(実配48%)という事例が都内で実際あったことは耳にしています。でもずっと以前から20%から30%は無駄になっているということは各所で書かれていました。角度は違いますが、新聞パルプのための環境破壊もついにこれほどの無駄が生じることですでに大きな社会的問題になっています。

 こんな無駄になる原因は、新聞社が販売店に<押し紙>という押し売り制度を使っているからです。販売店は片務契約なので非常に弱い立場であると同時に、たとえ売れない新聞を仕入れてもそれに付随してくる新聞折り込み利益がかなり大きいので(場合によっては新聞を売るより儲かる)こうした図式ができてしまうのです。
 さて、その被害者は誰なんでしょうね。こんなバカなことがマジで通るとしたら、国が決めている再販指定商品など完全に独占禁止法違反です。すでに景品をごそごそたくさんもらってる購読所帯と、パンフレット程度以外もらっていない所帯では定価の差が生じているんです(これは特殊指定の違反で独占禁止法違反)ーーー。僕の考えでは新聞購読料は新聞社の暴力を外せば半額近い定価で読めるはずだと考えています。

 週刊新潮は国内初めての週刊誌として創刊され、2006年(平成16年)には創刊50周年を迎えた老舗中の老舗です、メディアといえどもついカネに埋没しそうですが、徹底的に偽善を嫌い、人間の本質に切り込む姿勢は本来の報道の使命を失わない貴重な存在です。
 今回は巨悪が食いついてきた、ある意味絶好のチャンスです。そのためにはたくさんの被害者ともいうべき購読者の理解が必要ですね。成り行きを注目したいと思います。

 参考<新聞の実態が分かるサイト>

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