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2009年3月の31件の記事

2009年3月31日 (火曜日)

Too bad

Lunch002  今日を一言で言うと「ひどすぎ」の一日だった。
 佐倉市の川村記念美術館に出かけた。6
月7日まではマーク・ロスコ・瞑想する絵画展を開催している。僕はロスコ展を見るのは初めて、100年くらい前にロシアで生まれ、その後移住してアメリカ人、実に独特な空気を漂わせた空間がキャンバスを通して伝わる。絵画展では何の問題もなかった。

 川村記念美術館は周囲の自然も良い、なかなかムードが良い自然散策路など、むしろそっちに期待していたのでカメラをバッグから取り出して外へ出る。ところがだ、なんと小雨が降ってきたではないか、天気予報ではそんな話出てなかった。カメラはバッグに戻さざるを得なかった。
 期待していたカタクリはもう完全に時季外れ、数本が寂しく咲いていただけ。コブシ、ハクモクレン、シモクレンの花も同様でちょっと遅いかなという感じ、ソメイヨシノは開花が遅れていてまだまだ1分咲きというところ。全く撮影する対象はなし。それでも散策路を下ったところにあるアート広場の菜の花は30万本が200mにわたり咲き揃っていてこれだけが慰め。

 最悪はレストランのランチ(写真)、鶏と春キャベツ、キノコのフリカッセにサラダ、野菜のマリネ、豆類とかぼちゃ・ジャガイモのサラダ、自家製パンというコーディネートで1,500円。これが実においしくなかったのだ。
 野菜はベビーリーフとミツバがなんとも新鮮さを欠いているうえ鶏肉は全く駄目、紅茶は褒められたものではなかった。せめてパンがちょっとおいしかっただけ、これでこの値段はちょっと??と思った。体裁ばかりで中身がない、まぁ、あそこは周りに食事するところは全くないから仕方ないのかな。

 まぁ、こういうこともあるからバッチリ計画通りの日よりと景観に恵まれたら喜べるんだ。あっちこっちウロつけばこんな日もあるさと諦めましょう。

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2009年3月30日 (月曜日)

我孫子市は『白樺派』のふるさとだった

Sakura007  先日、バイクで沼南(しょうなん)地区を突っ走っているとき、何やら鳥の声・・・・、横道に入ってバイクを止めカメラを構えた。
 そこにはひと番(つが)いの野鳥がきれいな白い花の木に止まっている。一度は僕に気づいたようでどこかへ行ったが、しばらくすると舞い戻り、木の小枝でしばし可愛く囀っていた。(写真)

 この木は桜なのかな?、それにしてはずいぶん色白、そして鳥はスズメなんだろうか?ちょっとほおじろにも似ている。なんせ都内に30年も住んでいて、情けないがそういった知識は全くない。野鳥も花も縁遠く、また現役だったせいもあり心に余裕がなかったのかもしれない。
 柏に越してきて、四季折々の野鳥やいろんな花に出会えてなんだか子供みたいになっちゃてるんかもしれない。東京の車の騒音と汚い空気に慣れてしまっていただけに、住んでみてその違いははっきりわかる。柏市もすっかり開発されて「トカイナカ」になってしまったと言いつつも、探せばまだまだ花鳥風月に触れることができるのだ。

 柏市のお隣は<我孫子市>、これまた手賀沼というお気に入りのスポットがある。車で行けば30分もかからない。
 我孫子と言えば白樺派の中心人物、志賀直哉や武者小路実篤、柳宗悦らが土地に惚れて住んだ場所でもある。いまでもその文化的な邸宅跡などは手厚く保存されていて僕たちも何度か訪れた。
 そして彼ら文豪達の原稿や書簡、雑誌「白樺」などは市内にある「白樺文学館(
我孫子市緑2丁目)」が所蔵している。聞くところによると4月1日からこの文学館は市直営になるんだそうだ。もともとは佐野力さんという方が8年前に私財を投じて開設したんだそうだが、このほどきっちり寄付ということで成立し、館長の佐野さんから星野順一郎市長に同館の財産目録が手渡されたのだそうだ。

 4月からは開館時間がこれまでより30分早まり、午前9時半~午後5時(入館は4時半まで)。4日と5日はオープニングイベントを開催し、4月28日からは、企画展「『白樺』発刊百周年記念展」を予定しているんだそうだ。ぜひ行ってみたい。

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2009年3月29日 (日曜日)

『主権在民』ではなく、『主権在悪』かな

Senkyoposter01  千葉県は2期8年を務めた堂本暁子現知事が引退を表明し、きょう投票が行われ先ほど締め切られた。今夜11時半前には大勢が決するそうだ。インターネットなどの情報を見る限り堂本氏の後継指名を受けた吉田氏と、2度目の立候補となる森田氏、白石氏の3人の戦いになるんだろうか。

 何とも言えないタイミングで西松建設の巨額献金事件が表沙汰になった。この国の政治不信は留まるところがない。有権者の政治に対する期待も興味も提言も、全く失われかけているといっても言い過ぎではないだろう。だから<知事を選ぶ>という大事な選挙の投票率がベロベロに低いのは「もう、適当によろしく」、そんなこともあるんじゃなかろうか。
 せめて民主党の小沢さんがきっぱり代表を退いていたらまだどうなったかわからなかったかも。国民の8割強が「いい加減にせんか」と言ってるそうだ。
 その小沢代表は昨日、急きょ千葉市内に入り吉田候補の事務所を訪問したそうだ。すると女性スタッフから「電話にたくさん苦情が来ています」と言われ、顔をグッとこわばらせたまま、たった5分で事務所を出てしまったという。ご当人はどこまで承知してるんだか…。

 小沢さんもかつての金権腐敗政治を繰り返す自民党のDNAを持っている、これは一生かかっても脱臭できないだろう。一度ドブドブに浸かったらそうは簡単に匂いは消えない。
 先日、平田耕一財務副大臣(自民)は証券市場を通さない市場外取引でジャスダック上場の株式を市場の2倍近い価格で売り抜けていた問題の責任を取り、副大臣を一応辞任した。記者会見でも「微妙、、微妙、、」と含み笑いをして、ウン、なかなかうまい逃げ方だった。あれだけのカネになれば副大臣なんか要らないわな。あの立場の人間がやるんだから、インサイダー取引以上の罪があると思うが、世間はやさしくてそのことを深く問わない。
 自民党二階経産相だって東京地検による西松建設の違法献金事件の捜査の行方次第ではどういうことになるのかわからない。日本の政治家(全部ではないだろうが)は、なぜカネ・金・かねとなっちゃうんだろうか。アメリカの大統領でさえついこの間まで年収2千万円(今は4千万円)で命がけで働いている。
 
 日本は「主権在民」と憲法に謳われている。しかし、裏で蠢(うごめ)く汚い権力を持つ連中の影は決して消えない。政治とは大衆を陽動することだ。国の2大政党はお互いこんなザマだし、他に共産党をはじめ政権担当能力のある政党なんか見当たらない。そのことが大問題なんだよね。
 
達観しきれない僕は腹立ち紛れに投票してきた。しかし、投票をボイコットするかなり多数の方々の、ささやかな抵抗がそこにあるような気がして仕方ない。
 
<写真と本文は関係ありません>

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2009年3月28日 (土曜日)

カタクリの花は柏市の花

Katakuri09004  わが町柏市には<市の花>と称するものが3っあります。芝桜、ひまわりと「カタクリ」です。どういう経緯で決まったのかは分かりません、とにかくそういうことです。
 シーズンになるとひまわりはあけぼの山農業公園にかなりの規模で咲きます。でも芝桜はやはり公園や道路わきとか市の施設の片隅で咲いたりする程度です。
 もっと寂しいのは今日の写真の「カタクリ」でしょうね。(クリックで拡大します)町中集めてもほんのわずか、市も何かやってるのかもしれませんが手厚い保護をしている様子はありません。市の花の絶滅危惧種です。

 カタクリの花は自宅から車で5分くらいの所に群生地があります。東京に住んでいた頃は「カタクリの花」など思いも及ばないものでした。今日も見頃だという情報を聞いて行ってみましたが、その2~3センチの薄紅色の可愛い花を見ようと結構たくさんの方が集まっていました。
 カタクリというと、子供のころおふくろが作ってくれたとろっとした飲み物を思い出しますね、あの独特の澱粉質の甘さは、当時あまりお菓子も十分でなかった頃だけに忘れられませんねぇ。

 カタクリはユリ科の多年草で花が咲くまで7~8年も土の中でじっと時が来るまで待っているんだそうです。先ほど薄紅色の花と書きましたが、確かに昨年はそうでしたが今年は何となく色が白っぽくなっていましたね、それに本数も少なくなってるように感じました。なんだか弱々しそうな花なので最近の気象変化について行けないのかななんて思いました。

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2009年3月27日 (金曜日)

すごいなぁ!ホスピタリティの差かな

175313round2_2  ゴルフ、USPGAのアーノルド・パーマー・インビテーショナルでアメリカの第3章に挑む若き石川遼プロが、思うような実績をあげられないでもがき苦しんでいるようだが、そんなの最初からわかっていたことでなんの問題もない。
 遼クンは実に良い経験をしていてうらやましい限りだ。近い将来そのブチのめされた経験が花を咲かせることを信じている。山は高いほどその達成感も極上のものになるはずだ。
 ただ、ちょっと心配なのはタイガー・ウッズが報道陣に彼への助言を求められると「彼は金魚鉢に入っている」と語ったことは、岡目八目で見ている僕でさえズバリ核心をついていると感じた。さすがだな。

 さて、そのことを書くと長くなるので今日はUSPGAのホームページの話、いやとにかく興味深いすばらしいホスピタリティだといつも感じている。

 日本人には日本人の得意技がある、たとえば物作りなど電子立国を作ったのは日本人だ。米国人はと言うとその手厚い「ホスピタリティ」かな、ちょっとなかなか東洋人にはできないセンスがある。20年近く昔、ラスベガスに遊びに行った。あそこでしみじみ感じた、ショービジネスなんかとても敵うものではないと。そして、そのほんの一例が前述のUSPGAのホームサイトじゃないかなと思っている。

 ご覧になった方はよくご存じなんだろうが、まさに至れり尽くせりでゴルフファンを魅きつける「力」を持っている。日本のPGAも少し見習ったらいいんじゃないかな。やはりゴルフファンを魅了するテクニックと本来のホスピタリティは大事なことだと思う。

 あっちにもこっちにもワクワクするリンクがちりばめられていて、ここで説明していたらキリがない。
 ライブ・レポートは昨日まで<Tiger's lurking(2アンダーで好位置につけたトラが密かに潜んでいるぞ)>みたいな話だった。それも面白いけれど、なんといっても「Shot tracker」(写真)というコーナーがすごい。ほとんどリアルタイムでトーナメントを紹介している。
 各ホールごとにプレーヤー個人、またはその組ごとに今誰はどこへボールを打った?グリーンまであと何ヤードで次はどうなった?それはグリーンに乗ったのか乗らないか、あと何フィートのパットを残しているか・・・・などなど、実に分かりやすいコースレイアウト図(グリーンの様子は別に詳しく表示できる
)で逐一情報が入るので興味津々だ。

 とにかく生中継のテレビの前にパソコンを置いて、文字通り自分で選手を追跡(Track)していけるからたまらない。いや、テレビ中継時間外でも、つまりタイガーは2日目など日本時間の午後9時半過ぎで遼クンは同10時半過ぎにはスタートしている。とてもテレビ中継にはライブで入らない。
 (例=今は日本時間午後10時28分、タイガーはインスタートで10番、12番とバーディでー4にしている。10番はグリーンカラーから3打目の6ヤードをチップイン、12番パー5はドライバーが323ヤードのフェアウエイに、セカンドは226ヤードを奥のカラーまでオーバーさせ、3打目を70cmに付けて楽々バーディ。3位タイにして13番に向かった)
 しかも好きな選手を自分で何人でも選んでカスタマイズできる。勿論全選手の一覧もあり自動更新される。
 テレビはどうも自分の観たい選手ばかり映してはくれない、テレビ局の契約もあり放送時間もあるが気になって仕方ない。遼クンが6番パー5で9叩いたがその内訳は??、気になる選手は今どこにボールを打ったのか、あのトラブルになった選手のボールはどうなった・・・
などなど、、、勿論選手ごとのスタッツもどんどん更新される。
 動画でトーナメントの一部を見ることもできる、素晴らしいフォトギャラリーもある、ホールごとの説明も実に詳しい、、、とにかく朝早く起きても少しも息つく暇はないくらい楽しめるのだ、、、そのかわり・・疲れるのだ・・・・。こっちも頑張る、遼クンも頑張ってくれ!

 USPGAのURL 
http://www.pgatour.com/

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2009年3月26日 (木曜日)

桜咲く春なのだ

Sakura005  今日は南柏方面に行ったついでということもあって、久しぶりに廣池学園に立ち寄って見た。少し肌寒かったが市内にしては広大な構内にずいぶん沢山の方が、それもお子さん連れの若いお母さん方が芝生広場でタプタプの「春」を楽しんでおられた。
 大きな一本の桜の木はすでに八分咲きというところかな、見上げると淡いピンクの桜の花びらが青空に映えていた。白いこぶしの花も咲きシートを敷いて花見をしているグループもあった。あぁ、良い季節になったなと思った。

 3月9日(だったかな?)、<将棋界の一番長い日>で今年の挑戦者が郷田真隆九段に決まった。このところ毎年のことだがこの日は午前2時までBSの生中継にかじりつく。郷田九段にとっては早めの”サクラサク”だったかもしれない。4月~6月にかけて全国を転戦する名人(羽生善治)戦に両者は桜色に燃えているだろう。
 その将棋第67期名人戦第3局の立会人が有吉道夫九段(73)に決まった。有吉さんは故大山大名人の弟子で、今期絶体絶命のがけっぷちでC級二組を死守し、現役続行を決めた「火の玉流」と呼ばれた闘士である。こちらも桜を咲かせたクチだったが、名人戦の立会人とはなかなか粋な計らいだと思う。

 羽生さんと言えば現名人であり5冠のタイトルを保持している。今日はその一つ、「第58期王将戦」の第7局が山形県天童市で行われた。そしてついさっき、後手の羽生善治王将が、このところ苦手にしている挑戦者の深浦康市王位に110手で勝ち、4勝3敗で見事タイトルを防衛し5連覇を達成した。なんともスゴイ花を開かせたものだ。

 日本はWBCでも大輪の花を咲かせた。アメリカのメディアもキューバのカストロさんもサムライジャパンを絶賛しているそうだ。そうだ、春なのだ、どんどんみんなで花を咲かせましょう、、これでいいのだ。

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2009年3月25日 (水曜日)

桜・サクラ、弥生の空を北上中

Hikannzakura01  え~っ、、、毎度ばかばかしいお笑いを・・・

 最近はなんですな、お天気がどうも不安定でして、ついこないだは5月中旬の陽気だとかで、はい、あの日は暑いの暑くないのって…、えぇ、暑いんですなこれが…。
 で、一昨日は3月の寒さでそのまた翌日から二日ばかりビュービューと春の嵐。庭の花は鉢ごとひっくり返るわ車はもう砂埃で真白、、えらいことでした。
 あれってモンスーンに近い荒れまくりじゃありませんかねぇ、そして今度はポカポカしたと思ったらまた今日からグッと冷え込んできました。まったく落ち着きのない遊び盛りの餓鬼のようで、なんとなく気持まで忙(せわ)しなくなりますな、どうも。

 こうなるとなんですな、桜の花は一体いつごろ開いたらいいのか迷うんでしょうな。人間ばかりか桜そのものが落ち着かないようで・・・・・

緋寒桜   「お~い、ソメイ君」
ソメイヨシノ「なんだい、緋寒桜君」
緋寒桜「おめぇさん方はなんだね、これから満開になるんだそうだが、天気は不順だしまた見物客が集まったりなんかで忙しくなりそうだね。おいらなんざもうとっくに咲ききっちゃって、もう来年の段取りを考えてるところなんだ」
ソメイ「言われてみればそのとおり、こう寒くなったり暑くなったりじゃ、おいらたちどうも踏ん切りがつかねぇ。早ええところパッと行きたいねぇ、パッと、江戸っ子は気が短けえんだよね」
緋寒桜「なるほど、おたくたちソメイヨシノは生まれが江戸の染井なんだっけ、確かに江戸っ子だねぇ。ところで、今日お城の役人が『長期予報』とか言って4月から6月の塩梅を出したようだね」
ソメイ「そうそう、なんでも北日本以外は4月に雨が少なくて、3カ月間を通した気温はほぼ全国的に平年並みか高いんだそうだ。そして5月は寒気の南下で沖縄・奄美は低く、それ以外の地域でも平年並みにとどまるということらしいやね」
緋寒桜「それにしてもその役人たちの予報、信用できるんかいな?最近外れているよ、ことごとくね。去年なんざぁお宅らソメイヨシノの開花が1週間も読み間違ったんだったねぇ、ハハハ」
ソメイ「それにしてもまぁ悪いんだけど花と言えばソメイヨシノ、その満開の花を追いかけて日本を北上するなんてぇ粋な夢を持ってる人がいるって聞いた日にゃ嬉しくなっちゃうね」
緋寒桜「まさかそれって、放浪の旅を続けるフーテンの寅さんじゃなかろうね」
ソメイ「どうして?」
緋寒桜「だって、寅さんにゃ<さくら>ってぇ、可愛い生き甲斐がいるじゃねぇかい」

 さて、お後がよろしいようで・・・・・・・・・・・

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2009年3月24日 (火曜日)

(W)わがサムライ(B)ベストの結果で(C)君臨す

Kouhakunohana  いつものように散歩をしてからたまのサウナに寄る。途中、見ると1本の花桃(?)の木になんと紅白の花が咲いているではないか。これは縁起がよろしい、紅白は日本の国旗でもあると思い一枚撮った(写真)。そして<SAMURAI・JAPAN>も国中の期待に応え、大輪の花を咲かせてくれた。ゲン担ぎはして見るものだ。

 歩きながらポケット・ラジオのイヤホンを耳に入れると、ホットなWBCの中継が熱っぽく伝わってくる。中継のアナウンサーは闘鶏場で聞くあの甲高い声を出し続けている。
 日本が8回に2点リードしたあたりで「勝ったかな」と感じ、歩きながら9回裏には風呂屋にちょうど到着するルートをアレンジして歩き続ける。ところが延長戦に…、そのまま風呂に入るがさすがにいつもより空いていた。

 日本チームは二度目の大会を、連勝という最高の結果で大会最終日を飾った。昨年は北京で惨憺たる結果だっただけに、今大会も2連勝を危ぶむ声が多かったが、それを撥ね退けての優勝は大賛辞を贈る価値が十分にあると思った。単純比較はできないが、結果的にホシノ・ジャパンとサムライ・ジャパンは大きな差があったかな。

 何よりも野球は本当に面白いと再認識したファンがいっぱいいるんじゃないかな。昔からそうだが、大舞台でベンチも選手も死力を絞ると必ずドラマティックになるものだ。
 延長10回、イチローが2点タイムリーを打つまでには書いても書いても書ききらない伏線があった。内川のファインプレーに始まり、岩村の犠牲フライなどなど。まさに野球は数人のプレーヤーどころか、ベンチも含めた全員で戦うものだ、強いて言えば1球とワンプレーとジャッジの行為の積み重ねが結果を作るという、極めて凡庸なゲームなのかもしれない。

 特に9回、ダルビッシュが3人で抑えていたら、延長戦でイチローがセンター前に打つ一点に凝縮された感激は日本国内に湧き起こらなかった。ドラマのすべてがその瞬間のために突き進んでいたのを知っていたのは、野球の神様だけなのかと思ってしまう。
 日本が勝ったから言うわけではないが、どちらが勝ったか負けたかを通り越して、内容の濃い素晴らしいゲームだった。強いて言わせてもらえば、マウンドに国旗を立てられなくてよかったと思っている。

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2009年3月23日 (月曜日)

吸血鬼伝説

 村上春樹さんの、彼が言うところの「ショートショート」に『タクシーに乗った吸血鬼』というのがある。
 僕は彼の長編で『国境の南・太陽の西』は辛うじて読んだが、『海辺のカフカ』は上巻の途中までしか読んでない。どうも長編は苦手なのだ。ところが彼が書く『村上朝日堂シリーズ』などのエッセイ集や、このテの超短編は大好きだ。最近の短編では2005年新潮社から出た『東京奇譚集』なんか本当に面白い。

 その『タクシーに乗った吸血鬼』の話、ある男がタクシーに乗るとそこは大渋滞。運転手となんとなく会話が始まる。大胆に省略するとこんな具合だ。
「お客さん吸血鬼と幽霊を信じますか?」と運転手が言う。
「幽霊は信じるけど吸血鬼は信じない」お客は答える。
 会話が進んでから、運転手が「実は僕、吸血鬼なんです」と打ち明ける。車を降りた客は彼女に電話する。「練馬ナンバーの黒塗りのタクシーには乗らない方が良いよ、吸血鬼がいるから…」、すると彼女は「心配してくれているのね、ありがとう」と言う。非日常的な吸血鬼を巡ってごく日常の会話が繰り返される。<一般論>のメタファーなのかもしれないと思った。

Gaikotsu002  先日、と言っても12日のことだが、---イタリアの研究グループが、ベネチアで女性の「吸血鬼」の頭蓋(ずがい)骨を発見したことが明らかになった---というニュースを見た。
 骨が見つかったのは16世紀に流行した疫病の犠牲者らを埋めたラッザレット・ヌオーボ島の集団墓地なんだそうだ。
 当時「吸血鬼」と疑われた遺体にはレンガを口に押し込んで埋葬する習慣があったんだそうだ。発見した考古学者マッテオ・ボリニ氏は、----この発見により、中世では疫病流行の背後には吸血鬼がいると信じられていたことが裏付けられた----と語ったんだそうだ。考古学の発掘調査で吸血鬼に対する悪魔払いの儀式が初めて明らかになった。これは吸血鬼伝説の貴重な手がかりになるという話だった。

 面白い話だ。そういえば町のなかにもおよそ人間の格好した吸血鬼が、いそいそと歩いているらしい。そうだ、今度から注意深く観察しなければ・・・・・・
(今日はさすがに吸血鬼の写真がないので、わが家のインテリアを…)

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2009年3月22日 (日曜日)

菜の花畑は、さながら霞める朧な陽気に、、

Nanohana_2  僕が二部合唱で歌える歌と言えば、自慢するわけではありませんが2曲だけです。ひとつは「花」、そうです、滝廉太郎さんの名曲ですね。中学校の頃でしたか、熱心な音楽教師に教えてもらった思い出ある曲です。そう、「尾池先生」という素敵な女性でした。正直、僕はとても好きな先生でしたね。
 それはともかく、もう一つがこちらの「朧月夜」です。今でも誰かが上を歌ってくれれば、僕は低音部を唄うことができます。ホント、子供のころ覚えたものって、ものによりますがよく忘れずにいるものだと感心します。

 先日、我孫子で見た・・・菜の花畑・・・には、感動しましたね、本当に美しい黄色でした。やさしい眼をした、ちょっと亜麻色の髪をした尾池先生を思い出しましたねぇ。

 ♪菜の花畠に入り日薄れ
  見わたす山の端 霞ふかし
       春風そよふく空を見れば
       夕月かかりて におい淡し

   里わの火影も森の色も
   田中の小路をたどる人も
       蛙のなくねも鐘の音も
       さながら霞める朧月夜

 なつかしくなるんだよなぁ、あの頃が…。

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2009年3月21日 (土曜日)

日本もフロリダも「麗らか」なお日柄で…

Masuojyoushi  今日の午前中はちょっと荒れていたのですが、午後から本当に「麗らかな」良い日差しが降り注いでいました。写真のようにたくさんの方が公園の芝生の上で、楽しそうにしていたのでつい嬉しくなって一枚撮りました。(場所は増尾城址公園)

 ところで「麗らか」という美しい日本語が気になって調べてみました。僕も良く分かって使っているのではなく、なんとなくなんとなくという感じだったからです。
 辞書によると「麗らか」の意味は、
(1)太陽がのどかに照っているさま。[季]春。《―や松を離るゝ鳶の笛/川端茅舎》、「―な春の一日」
(2)晴れ晴れとして明るいさま。朗らかで伸びやかなさま。のどか。「―な気分」
(3)声が明るく朗らかなさま。「うぐひすの―なる音(ね)に/源氏(胡蝶)」などと書いてありました。いかにものどかで明るい感じの言葉であることが確認できました。

 さて、太陽がのどかに照り、本人も晴れ晴れして明るく伸びやかといえば、もう石川遼クンしかありませんね。朝早く眠い目をこすりつつテレビ観戦した甲斐がありました、でも半分だけ。なんせ、ゴルフネットワークチャンネルは契約の関係なんでしょうが、前半の9ホールしか映してくれません、肝心の遼クンを。もう後半は焦れてインターネットのUSPGAにかじりつきましたね、ハイ。
 15番(裏スタートなので実際はアウトの6番)でボギーにしてヒヤヒヤ。難しい8~9番が待っていてもう予選突破はボギー2つでオジャンというところまできてしまいました。映像がなく速報だけで見ているから余計です。
 でもそんな心配はこっちの取り越し苦労で、本人は攻めのゴルフを心がけていたようで1打余裕を持って決勝へ、、、良かったです。
 PGAのサイトも注目度の高さからか彼の写真をクローズアップして、<ライブ・レポート>なんてこともしてましたね。
 それでもPGAサイトのフル・リーダーボードには彼の名前の前に国旗はなし(今回の出場選手でただ一人)、前日は午前の最終組、今日は午後の最終組と、PGAカードを持たない選手は過酷なんですが、予選突破は本当にお見事でなかなか良い経験してますね。

 明日もフロリダのフェアウエイは麗らかな日和になるんでしょう、焦らずに一歩一歩がんばれ、遼クン!

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2009年3月20日 (金曜日)

孫娘よ~Poetry and images

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2009年3月19日 (木曜日)

少年期の心に深く刻まれた「少年ケニヤ」に再会!

Yamakawasoujitenn02_2  いや~、暑い一日だった、車の空調は完全にクーラー、その冷えた風を受けながら僕の心は外の太陽より熱かった。
 目的地は佐倉市立美術館、そこでは今月22日まで「蘇る『少年ケニヤ』のいた昭和」という展覧会を行っている。

 僕が少年のころ、そうです昭和20年~30年代のことです。今はもうほとんど見かけませんが「紙芝居」というのがありました。
 かき混ぜると銀白色に色が変化する水あめを舐めることさえ忘れ、僕は軽妙なおじさんの語り口と、なんといっても素晴らしい「絵」に魅せられ、ドドーーンと太鼓が鳴って<つづく>の文字が画面に出るまでの間、まったく別な世界に連れて行ってもらったのでした。

 その子供たちに紙芝居からスタートし、その後「少年王者」や「少年ケニヤ」の大ブームを巻き起こした作者は、故山川惣治さんでした。それが見たくて親に頼み、連載を掲載していた当時の産業経済新聞(現・産経新聞)に取り替えてもらったことを覚えています。(蛇足ですが、当時の産業経済新聞は発行部数5万部でした。ところが少年ケニヤが始まってから、なんと120万部に急成長したのです)
 山川惣治さんは晩年佐倉市ですごしたという縁があり、今回生誕100年に因んで、元々は川崎銀行だったという由緒ある建築の市立美術館で、作品の原画や肉筆画、初版本など525点を集めた展覧会が開催中なのです。

 僕はどうしてもこの展覧会が見たかったのです、なぜか?よく分かりませんが…。僕の少年期に強烈な印象を与え、ある種の原点になっているような気がするからです。
 山川さんは劇画にストーリーを添えるという斬新な手法で他の<漫画>とは一線を画していました。絵は決して挿絵ではなく、また文章はキャプションにあらず、さらに漫画のように絵が主体ではない、山川さんはそれを<絵物語>と呼んでいました。漫画好きでそれらの本を端から順に読みあさっていた僕も実際その目を奪われたのでした。
 絵は恐竜が現われたり今でいうSFやCGの走りというべき感動が躍動していました。迫力満点の野生動物たち、中には海のギャングと言われたシャチとか、僕たちは実際に見たこともない動物が出てきたり、構図の素晴らしさはまるで目の前にゾウやライオンが現われたかのような臨場感に包まれました。そして和風というものは全くなく、すべては西洋の人物、光景、動物が出てきて少年たちは全く飽きることがなかったのです。

 少年期に育まれた一種の原点と書きましたが、少年ケニヤなどの基本となっている勧善懲悪の物語はとても大きな影響を受けていると感じています。日本中が貧しい時代でした。何とか自分の力で困難を乗り越えて生きて行かなければ・・、という観念を教えてもらったのかもしれないと考えています。
 時代は移り漫画が興隆を極め、テレビの登場、そして今はインターネットやゲーム機が普及して「絵物語」は徐々に衰退の道をたどってきました。しかし、時代がどんな移ろいを見せようと、自分の少年期は一度しかありません。「少年ケニヤ」などは、僕の心の奥まで深く刻まれた、そして生涯忘れ得ない小箱に入れた宝物のような気がします。

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2009年3月18日 (水曜日)

「花」がヒトに教えてくれるもの

Flower09005  昨日あけぼの山農業公園の温室で撮った一枚の写真です。(クリックで少し拡大)
 花というのは言葉を話さない代わりに愚鈍で愚直な、そう、例えようもない美しさをわれわれに伝えるんですね。その点、人間は敵わないなって思うことがしばしばあります。

 今日はWBCの第2ラウンド、韓国VSサムライの戦いがありました。結果は日本チームに好都合な結果をもたらしませんでした。それは残念なことです。
 でも、観客として勝ち負けの次に大事なのは後味や次のゲームへの希望です。負けても明日に繋がる時とそうでないケースがあります。今日はあまり良い味は残りませんでした。監督の投手継投策もそうですが、城島選手の退場はどうだったんでしょうか?

 本人は「なぜ退場になったのか、理解できなかった」ということを言っていますが、カウント2-3からの際どいボールにストライクのコールをされて不満があったことは誰でも解ります。だから彼はボックスにバットを置いてきたのでしょう。彼の意思表示です。それに対して審判もメジャーの意思表示を返しました。

 それがあったからなかったから・・・、その後の展開がどうなったか誰にも分かりません、少なくとも、あの行為は無駄だったということだけが残りました。
 ついでに言うと日本のファンはイチロー、イチロー言いすぎませんかね、かれも日本チームの一員にすぎないんですけどね。
 動物も植物も、特に花は無抵抗でいて何も言語を語らない代わりに、われわれに真の「美しさ」という嵩(かさ)と形容を教えているのかもしれません。

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2009年3月17日 (火曜日)

麗らかな春の陽に公園で昼寝

Akebonoyama09002  まったく春らしくなったもんだ。とても家にじっとしてなんかいられやしない。

 今日は午前中から我孫子の市民図書館アビスタに行く。ロビーでは水彩画愛好家が展覧会をしていた。思わず見とれてあっという間の1時間が過ぎる、皆さんお上手だ。
 『路地の記憶』は写真家の佐藤秀明さんの写真とエッセイに、亡くなった阿久悠さんの詞が花を添えている素晴らしい写真集だ。書評を見て前から読みたかったので借りてきた、いつもそうだが好きな本を手にすると胸が高鳴る。大事にバッグに入れて車の後席にそっと置いた。

 久しぶりに手賀沼の周りを歩きたかったが、今日の目的地は「あけぼの山農業公園」、寒緋桜が満開になってるはずだ、先を急いだ。途中、手賀沼の脇にアッと驚く面積(野球場くらいかな)にアッと驚くほど美しい菜の花畑を発見!これは見逃せず車を路肩によけてしばし見とれる。独特の香りは春そのもの、これだけの本数を一度に見られたのは人生で初めてと二人で感激。

 あけぼの山に到着、寒緋桜は今が見ごろでたくさんの方が花見に訪れ食事を楽しんでいる。我々も例の「ランチンパク」で、夕べの残りご飯のおにぎり・煮物・漬物の三点セット、コンビニで買い足した鳥のカラ揚げなどでやや食べ過ぎ傾向。
 食後は芝生に敷いたシートの上で昼寝、爽やかな春の風と陽に焼けるかなと思うほどの日差しが顔にサンサンとそそぐ。鳥の声も風も日光もタダだが、この時ばかりは「なんと贅沢なことなのか」と自然に感謝する。

 今日はたくさん満足できる写真が撮れた、大漁だったな。

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2009年3月16日 (月曜日)

池の脇には早春を告げるネコヤナギが…

Nekoyanagi  今朝は朝6時前に起きてテレビにかじりついた。無論WBCのキューバ戦を見るためだった。
 試合は3回表、ちょうど片岡がレフト前にヒットを打って満塁になり、先発のチャップマンがマウンドを降りたところだった。あそこでまさかあんなワイルドピッチが出るとは思わなかった、キューバは思ったよりチープなチームだったかな。あとは日本の”押せ押せゲーム”で完勝!サムライたちの予想以上の雄姿が見られて大変満足でした。でも、一言でいえば松坂大輔の快投に尽きる試合だったかな。
 それでも手放しで喜べないのは次の韓国戦だろうか。そこで敗れると敗者復活戦で再びキューバ(であろう)と当たる。今度は松坂が(大会規定で)投げられないのでどういうことになるのかなというのがある。

 昼から例により数時間歩き回り毎週1~2度は訪れるサウナにと思ったが、猫の額のような庭の芝生が伸びに伸びていたのでそれを刈ることにした。結構くたびれる一日で、晩酌に飲んだ焼酎のワイン割が効いてきて、自分にしては「異常に早い」9時にはベッドに入ってしまった。(だからこの日記は翌日書いた)

 ウオーキングの途中で目にした光景はもう春を感じるものばかりだった。写真のネコヤナギもそうだ。春めいた陽光に、きらきら銀白色の花穂がやわらかに輝く。目の前をカワセミがひらひらと飛翔して消えた。美しいコバルトブルーの残像が眼に残った。

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2009年3月15日 (日曜日)

好天です、「休眠打破」しようかな

Kouenn002  今日はこれ以上ないという好天に恵まれた。少し寒さが残る、そう、ラッキョウのピリ辛浸けのような感じ。単純に暖かいより、ちょっと歩くと少し暑い・・というくらいがちょうどいい。

 日本エコツーリズム協会というのがあるんだそうだ。春の陽気に誘われ環境省などと合同で都内のウオーキングを楽しんだとか。ウオーキング愛好者や家族連れなど約200人が参加したというから大したもの。ガイド付きで新宿御苑や明治神宮、大木戸番所跡などを歩いたそうだ、歩いたり歴史に触れたりでさぞかし良かったでしょうね。

 ソメイヨシノは冬の間、最高気温10度以下の寒気に約60日間さらされることで、木が眠りから覚める「休眠打破」と呼ばれる現象が起き、春先の気温の上昇が開花を促すという話を読んだ。人間だって似たようなことはある、詳しくは書かないけれどね。
 ところで地球の温暖化が進むと今世紀末には開花が約1か月近く早まるという研究結果を発表した専門家がいた。そして、房総半島の南部ではその「休眠打破」が起こらなくなり、開花しなくなる可能性もあるそうだ。ふ~ん、そうなのかね。

 なにはともあれ、今日の天候はサイコー、日曜日なので公園にはたくさんの家族連れやカップルが集まっていた。

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2009年3月14日 (土曜日)

『今』をカット・オブ・ペースト

 美しいものを美しく撮るのも写真ですし、現実を超えたなにか人には見えないものを画像として残せるのも写真の特徴です。しかし、やはり一番大きな存在価値は『今』を切り取って記録を残すという行為なのかもしれません。

 ・今・というのは弛み無い宇宙の営みの中で、生命を宿すものすべてが作り上げていく鏃の先端です。言うまでもなく時差も日付変更線も・今・に関わりあうことはできません。
 ・今・は鈍い光を放ちながら生き物のように変化を遂げ、未知の世界へ人類を誘って行きます。未来は凄絶で過酷なカオスに逆流するのか、それとも架空を現実に変えるユートピアが待っているのか…、永遠に時空というカーテンを切り裂き続ける鋭い切っ先には、将来の蓋然性が付着するスペースはありません。すべては・今・を生きる人類の悟性とメンタリティにかかっているといえます。

 数枚の画像からその人類の未来を予測することは難しいのですが、少なくともその鏃の先端の鈍い光が作り出した白と黒のコントラストは、見る人それぞれの心に入り込んで何らかの印象を残して行きます。

 今日は強風が治まった雨上がりの夕方、そんなモノトーンの世界を切り取ってみました。

Mono09003_2 <大地を削る>

Mono09002 <昔現役、今夾雑物>

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2009年3月13日 (金曜日)

バトゥフェリンギ・ビーチ

Batuferringhi001  今日はまた打って変って寒い一日でした。風も強く、まるで春の嵐のようでした。日本は狭い狭いといっても福岡では桜が開花、北海道では地吹雪が…、、、結構広いんですね。であるからこそ四季があることと地域の陽気の差は美しい日本の基本かもしれません。

 常夏の島ペナン島、こちらには明確な四季がありません。一年中最低気温が24度前後で最高気温33度前後という感じでしょうか。日の出日の入りもほとんど変化がありません。朝も夜も大体7時、JRの電車が時間になるとキチンと来て、人を乗せると次の駅に向かうように、南国の太陽はまるで事務的な作業を365日繰り返します。

 以前ペナン島に住んでいた頃、僕のホームページを見てわざわざ訪ねてきた日本からのゲストの中には「日本は四季があるからイヤ、衣替えも何も面倒で・・・」というご婦人の意見もありました。
 ところが四季のない地域に住むとそれが逆になります。はっきり言って飽きるという部分も出てきてしまうんですね。人間てどうしてもないものねだりする生き物なんでしょうかね。

 僕たちはバトゥフェリンギというビーチのそばに住んでいました。町からは外れていて、買い物などの点では不便なのですが、喧騒から離れて暮らすことには満足していました。
 ビーチには毎日世界各国から多くの人々が訪れ、ビーチの雰囲気とかマリンスポーツや食事を楽しんで帰ります。こう寒いと、寒さが苦手の僕は時折あの一年中暑い島のことを思い出します。

 今日は久しぶりにそのバトゥフェリンギの写真を載せてみました。

 

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2009年3月12日 (木曜日)

政治が国を主導できない要因

Zenrinnrou  千葉県知事選挙が今日告示され選挙戦がスタートした。総有権者数は502万4787人だという。この大人数の方々はいったい誰を選ぶんだろうか。
 千葉県というところは自民党公認・推薦の知事がずっとその席を譲ったことがなかった。ところが8年前、その与党推薦者は市民団体が擁立した堂本知事に敗退した。その堂本さんが76歳で再選を選ばなかったので新人ばかり5人の戦いになったようだ
 いずれにしてもこの経済的、かつ政治的人材不足の緊急事態に対して、誰がなってもなんだか期待が持てないという自分自身の気分がある。これはいったい何なんだろうか。

 政治評論家の田原総一朗さんは今年1月のNIKKEI-BPNetのコラムで、降り注ぐ派遣切りの情報に対し、「連合は正規社員しか守れない。だから、正規社員以外の労働者を守る組織がない。(これが問題だ)
 さらに問題なのは、かつてならば、非正社員が10万人、20万人も首を切られるという事態になったら、これを組織化するといった動きが起きたが、今はそういう動きが出てこない。これは何なのだ」という見解を述べている。
 40年近い昔、似たような政情が日本にもあった。あの時、一部の権力者が理不尽な理由のもとに労働者を虐げる事件が頻発した。働く人たちは「全臨労(全国臨時労働者組合)」という組織を作って徹底的に戦った。しかしその名残はもうない。
 今こそ暴動が起きてもおかしくないのに何事もないのは、日本人そのものが何者かに飼いならされて来てしまっているのかもしれない。

 そっちの方が根源的な問題なのだと考えている。

 

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2009年3月11日 (水曜日)

鶯宿梅(おうしゅくばい)のおはなし

Ume002  なんともひどい話ではありませんか。他国の、それもごく普通に生活している若者をさらって行き自国の利益に結び付けようとは・・・・、ゴキブリ以下の考えじゃないでしょうかねぇ。

 『昔、昔のことでございます。そう、世は村上天皇の御代でございました。ある冬、庭の梅の木が枯れてしまったのでございます。
 天皇は至極残念に思い、別な梅を探させたのです。さんざん探した揚句、家臣の役人は西の方に素晴らしい梅があることを知り早速赴きました。そしてその女主人に献上をさせたのでございます。
 女主人は断るすべもなく、艶々しい色合い、品よく花は付き、素晴らしい芳香は四方に漂い、毎年の楽しみだったその木を已む無く献上したのでございます。怖れ多いのですがと断ったうえで一枚の「文」を枝に忍ばせて。
 その文にはこう書いてありました。
 「勅なれば  いともかしこし  鶯(うぐいす)の  宿はと問(と)はば  いかがこたえむ」と。
 つまり、謹んで献上つかまつりましたが、毎年この庭に来てこの梅の枝に宿る鴬が、我が宿は何処に行ってしまったのかと尋ねられたならば、さてどう答えたらよいのでございましょうとさりげなく問うたのです。

 歌の心が理解できた天皇はすぐさま元の家にその木を返したという、日本の心温まるお話でした』

 田口八重子さん、横田めぐみさん・・・、たくさんの拉致被害者の皆さん・・・、日本という木に宿ってこそ素晴らしいさえずりを聞かせたに違いありません。
 今日は韓国で金賢姫元死刑囚が八重子さん(22歳で拉致)、横田めぐみさん(行方不明時13歳)たちのことを語りました。何の進展もなく政治的な匂いだけが残りました。釈然としない思いは募るばかりでございます。

 写真は今頃咲く、中国の梅の花です。これは海外で撮影したものです。この梅にも宿るウグイスがいるんでしょうね…。

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2009年3月10日 (火曜日)

「ランチンパク」の勧め

Ichikawa002  完全に凍える寒さの季節は終了しましたね。やっと待ちに待った春です、これからは暑い夏へ向かって一目散という雰囲気になってきました。

 今日は4月半ばという暖かい、風もない穏やかな一日でした。こんな天気もまだまだ長続きしないんじゃないかなと思い、オニギリに卵焼きを仕込んで二人で出かけてきました。出かけるといっても車で20分くらいのところにある「大町公園」です。ここは市川の動植物園があるところで、特に自然がそのまま息づいている自生地は素晴らしく、大好きな場所です。

 「ランチンパク」は韓国の新人プロゴルファーではありません、<Lunch in park>のことです。以前から僕が勧めていた『昼メシは公園で』のことで、おにぎり持って公園へ行こうという運動です。
 空気の良いところで食事をすると精神的にも、健康的にも良いことがあります。なにより昨日の余ったご飯のおにぎりがこんなおいしいなんて…、やっぱり外は良いですね。

 この陽気に誘われてけっこうたくさんの方が公園に遊びに来ていましたね。ホント、老若男女、大町公園では今月30日まで「全国の野鳥写真展」や温室に咲く南国の花もついでに楽しめ、広い公園の木道を散策するのにはとても都合の良い季節になりました。

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2009年3月 9日 (月曜日)

なにはともあれ『球春』がやってきました

Ballgame001  野球ってそんなものとは言いつつも、一昨日コールドゲームで勝った相手から、たったの1点も取れなかったとはねぇ、どないだっ!!という感じですね。

 今夜東京ドームでWBC1次ラウンドA組の1位決定戦がありましたが、日本は敗者復活戦から勝ち上がった韓国に0―1で敗れ2位でアメリカに行きます。岩隈はきちんとゲームを作ったのですが、なんせ点が取れないと野球は負ける仕組みになっています。
 相手韓国チームは走塁のまずさがひどくて、5人が塁に出てからアウトになりました。あの拙攻でツキを呼べないのは情けないという感じがしましたね、正直。
 きっと一昨日の試合は韓国が「死んだふり」をして、日本に隙を与えたんでしょうね、ワザととは言いませんが、まるで楽天の野村監督のような戦法を使いますね、相手は。

 野球といえば関西には独立リーグがあります。もう有名なのでよく知られた神戸ナインクルーズには国内初の女性プロ野球選手、吉田えり(17)さんが所属しています、得意はナックルボールなんだそうで、一度ナマで拝見したいなと思ってます。
 昔ですがアメリカに女性だけのプロ野球リーグがあって、その映画を見て感動したことを思い出しました。でも題名が思い出せないのですが…。こちら日本の吉田えり投手は大阪ゴールドビリケーンズとのリーグ開幕戦(京セラドーム大阪)で初登板が予定されているとのこと、グアンバレェ!

 とにかく球春ですね
  (写真は昔僕が撮影したドジャースのビデオから)

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2009年3月 8日 (日曜日)

フランク永井さんの加茂川ブルース

Kamo09001  ♪情け流した加茂川に、溶けた淡雪儚くて
    好きや好きやと寄り添うた、
      恋の真実がいまさらに…  

 カモがたくさん遊んでいる小川を見ていて、「カモ(加茂)川ブルース」などと詰まんない洒落が浮かびました。この曲は昨年亡くなったフランク永井さんの名曲で、僕も酒が入って興が乗れば<他人の迷惑返り見ず>マイク片手に歌う曲です。
 つい先日、NHK・BSで故人の特集を放送していました。僕は勿論楽しみにしていたので見逃すことはありませんでした。別に自慢するつもりはありませんが、フランクさんの曲なら下手ながらほとんどの曲を歌うことができます。なかでもこの曲と「公園の手品師」は良い曲だなと思っています。

 フランク永井さんはもともとジャズ畑から歌手を目指した方で、故郷(宮城県大崎市)の仙台や東京芝浦の米軍キャンプで、トレーラーの運転手などしながらのど自慢大会などに出ていたそうです。のど自慢荒らしという称号をいただいた時期もあったそうですから、歌唱力は抜群だったんですね。
 そのフランクさんも晩年は恵まれない人生を送りました。そして昨年10月28日、帰らぬ人となりました。米軍キャンプで唄っていた頃、性格が文字通りフランクだったのでそう呼ばれ、そのまま芸名にしたんだそうです。本当に残念でした。そのフランクさん、彼のお誕生日は77年前の3月18日、あと10日後だそうです。

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2009年3月 7日 (土曜日)

「平和」に勝る「平和」はなし

Heiwa001  今日は土曜日、午前中荒れまくっていた風も午後にはおとなしくなりました。「啓蟄」は地中の虫だけではなく人間にも同じ感覚を与えるようで、たくさんの方が公園に集まってきました、いままでの寒さに耐えたんだよとでも言いたそうに。そりゃそうですね、同じ生き物なんですからね。

 写真は柏市の「中原ふるさと防災公園」、ここは昔牧場で、たくさんの牛や馬がいたところだそうです。そもそも千葉県は江戸の昔から、徳川幕府の馬(農耕以外の戦闘用、鑑賞用、狩りのため等々)を育成してきた大牧場がありました。そんな名残でもあるかのようです。

 公園には寒緋桜が咲き始めています。その緋色の濃い花びらのもとには多くの市民が思い思いに集っていました。やっぱり、平和が一番ですね、日本人にとって原子爆弾や敗戦、その後は非核三原則の宣言などという流れの中で真の平和を願ってきました。この国の人たちの住み家は『平和』なんですね、どうしてもその言葉が似合います。

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2009年3月 6日 (金曜日)

ヒヨドリと金柑の実

Hiyodori002  今日の写真はですね、かわいらしいヒヨドリくんですね、いや、ヒヨドリさんかな?口に咥えているのはどうやら「金柑」の実です。

 じっとその様子を見ていると、ヒヨドリはその実を食べるのではなく、おいしいその果汁をチュクチュク吸いこんでいるようでした。
 金柑は柑橘系の中でもとくに甘さがあるので、それを知ってるヒヨドリが見逃すわけがありません。子供のころ、果肉ごと煮て蜂蜜漬けにしたものを食べさせてもらったことを思い出しました。撮影したのは近くの公園ですが、高さ2mほどの金柑の木が密集しているところです。よく知ってますよね、野鳥君たちは。

 金柑は犬が喜んで食べると聞きましたが本当かな?ヒヨドリと金柑、政治家とパーティ券、生き物は誰でも甘いものには弱いんですね。

 実は拙宅の金木犀の木に、ヒヨドリ(?)が巣を作ったようなんです。はっきりヒヨドリかどうかわからないんですが…。いずれにしてもヒナが何羽かいるようで、可愛い声で囀っているんです。2階の僕の部屋の目と鼻の先ですから毎日よく聞こえます。なんだかこのまま巣立たないで…なんて思う、今日この頃・・・。 

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2009年3月 5日 (木曜日)

今日は啓蟄

Keititsu02  冬ごもりしていた虫たちが、春の陽気を感じてモゴモゴ地上に顔を出し始める時期だという『啓蟄(けいちつ)』とは今日のことですね。いよいよ春近しという話になってきました。でも明日からはまた雨交じりの天気が続くという予報で、なんとなくじりじりした気分ではあります。

 「啓蟄」は二十四節気のひとつ、二十四節気とは中国の戦国時代に太陰暦とのずれがあったのを修正し、「春夏秋冬」というきちんとした区分を明確にした手法でした。日本でも江戸時代から輸入された中国暦を採用したんですが、どうも合わない部分もあり「雑節」という日本独自の季節の区分を作って<旧暦>として利用してきました。

 冬の間穴の中にいた虫がモゴモゴ出てきたのは人間社会も同じ、なんだか民主党の小沢さん周辺でも検察という虫が蠢き始めました。あの方も元を正せば自民党の金権体質の最盛期に政治を学習した方です。
 それにしてもなんとも言えませんがね、政治ってそんなもんなんでしょうかねぇ、ますます国民に不信感を与えてしまうんではないでしょうかねぇ。

 そこへ行くと自然というのはすごいですね、スケールが違うことが分かりますね。

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2009年3月 4日 (水曜日)

もうすぐ春ですね、でもまだ寒い日が続きます。

Yamatsubaki  このところ、といってもすでに10日以上でしょうか、曇るか雨か雪か・・・、晴れ間が見えてもマジシャンが鳩を出す直前の瞬間くらいしか見ることができません。昨日は都内も千葉も冷たい雪、なんだか気持まで沈んでしまいそうです。

 ところがもう「春」はそこまで来てるんですね、インターネットのニュースを見ていると連日花の話題に事欠きません。今日は『椿』でした。千葉県いすみ市(旧夷隅郡などが合併した)深堀の「大原椿公園」で赤や白、八重のツバキが今が盛りと咲き誇っているというのです。来園者は1千種に及ぶ椿も早咲き・中咲き・遅咲きとあって、ずっと長い間楽しめるんだそうです。野鳥の囀りを聞きながら、花を楽しむなんて最高ですね。週末には「椿祭り」が始まるんだとか。
 今日掲載した写真は僕が散歩の途中で撮影した早咲きのヤブツバキで、これは昨年の12月3日のものでした。なかなか綺麗です。どこかの地方に美しい「利休椿」というのがあるそうで、これは一度実物を見たいなと思っています。

 日本人に限らず「花好き」は世界中の人類共通です。例外は戦地になっている地域かもしれません。やはり平和でないと人々の心は花に向くこともないのでしょうね。
 なかでも椿はずいぶん好かれているようです。ヴェルディは「椿姫」を作曲しました、韓国では「釜山港に帰れ」、都はるみさんのあんこ椿は恋の花・・・、キリがありません。花そのものが美しくいろいろな利用方法があって価値が高く、大昔、そう万葉集のころからよく知られていたようです。おおもとはフィリピンで、宣教師でしたか誰かがヨーロッパに持ち帰って品種改良したとかいう説もあります。

 なにはともあれ、もう椿祭りですよ、そう、春ですね、、あと半月も待てばお彼岸です。暑さ寒さも彼岸までとは、うまいことを言ったものです。

 『あしひきの山椿咲く、八峯(やつを)越え、鹿(しし)待つ君が、斎(いは)ひ妻かも』<by 万葉集>
(意味=山椿が咲いている山々を越えて、あなたが鹿を捕らえて帰って来るのを、私は慎んで待ち続けます)

 

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2009年3月 3日 (火曜日)

ネパールで学校を作った思い出(後編)

Schoolnepal001  帰国し学校建設は僕たちのNGOで大きな議題になりました。方向は実施でしたし現地で大きな期待があることも承知していました。ところが当初2棟で90万円くらいと踏んでいた予算も、実際には150万円近く掛ることがわかってきました。お金の補てんはどうすることもできない障害になりました。

 われわれは断念するかどうかの瀬戸際にありました。しかし、その窮地で事務方が最大の努力をしてくれました。可能性がある団体にすべての事情を話して協力依頼したのです。結果、なんと、日本財団がわれわれに力を貸してくれることに決定したのです、9回裏の大逆転でした。

 学校は完成し翌年われわれは視察に行きました。この年は僕と事務局長の二人だけ、カトマンドゥから車で3時間余りで学校に到着。僕たちは菩提樹が見えるところで車を降りました、というより下りるしかなかったのです。なんと、学校へ続く道路の両サイドは児童生徒でいっぱいでした。彼らの歓迎の列は校舎まで続いていました。そして、彼ら一人一人の手には花の首飾りが陽に映えてキラキラしていました。僕は事務局長に「君は左へ、僕は右」と合図しました。

 花の首飾り(レイ)は子供たち自身が朝早くから摘んで、自身で針と糸で作ったものだったことはすぐに分かりました。ひとりひとりが僕の首に「ナマステ」の言葉を添えて掛けてくれます。10人にも満たないうちに前が見えなくなるほどのレイでいっぱいになりました。すると、後ろにいた現地のボランティアたちがまとめて引き取り車に積み込みます。それを何十回も繰り返し1時間以上かかってやっと校舎にたどり着きました。途中で胸が熱くなる思いがしました。当然ですがこんな経験は生まれて初めてです。

 立派な校舎がありました。校舎の妻側には<JAPAN FOUNDATION>と大書してありました。子供たちにはメチャ喜んでもらえたし、その後、僕たちのNGOはポスターや教材で木の大切さを先生方に教えていただけることにも成功しました。こうして村は少しづつ変わって行きました。

 仙台の広瀬小学校の皆さん、ぜひともその価値ある活動を成功させて下さいね。僕がNGOで繰り返し言っていた、「ボランティアは与えるもの50%、得るもの50%でなくては継続できない」という意味も、やがて理解できるでしょう。期待していますよ。<写真は資料映像>

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2009年3月 2日 (月曜日)

ネパールに学校を作った思い出(中編)

Nepalschool002  僕たちのNGOはその年、支援しているパンチュカール村の学校を視察しました。
 ネパールの児童が通う学校は、多くの場合小高い丘の上にあります。そして必ず大きな古い菩提樹の木があります。正門などないのでそれがその代りか学校の目印といってもいいくらいです。場所が丘の上なので子供たちは文字通り”登校”と”下校”を繰り返すわけです。
 校舎からは実に風光明媚な田園風景が見降ろせます。水牛が農夫と一体になったように農作業しています。しかし、その手伝いをするために学校に行けない子供たちがたくさんいるのも見えるのです、僕たちは複雑な心境になりました。

 学校に行けないのは圧倒的に経済的理由です。それに加えてものを学習するという意識がまだ十分ではないのでしょう。子供たちは農作業、家畜のための草刈り、そして飲み水の確保で往復2kmくらい桶を担ぎます。これが毎日ですから大変なのです。

 僕たちは校長先生の案内で校舎に入りました。中は特段の飾り付けがあるわけでもないのに歓迎ムードを感じました。そう、ひしひしとした何かを…。
 あの頃、地方の学校の教室には椅子や机のない所がたくさんありました。レンガ造りの平屋で、窓や出入り口の開口部は板もガラスも何にもありません。床はいわゆる土間で、裸足の児童たちは直に座って授業を受けます。すし詰めの教室で、黒板(青い色でしたが)は50センチ角くらいでしたか、それを先生が手で高くかざして使います。最近の学校では机もイスも制服も整ってきたようですが、当時はまだまだでした。

 最後に英語の授業をしている教室に案内され参観しました。子供たちは僕たちに英語の歌を唄ってくれました。正直なところ発音はよく聴きとれず、曲もインド音楽のようにどこで切れ目なのかはっきりしません。しかし、もう何人もが使い伝えられたであろう古い教科書(といっても紙を数枚閉じただけのものですが、ネパールでは紙は非常に高価なものなのです)を手に取ったり、曲の端々の単語などからなんとなく胸が熱くなる思いがしてきました、子供たちが何かを訴えているのが雰囲気でわかったからです。校長先生がそっと「もっと校舎がほしい、そうすればお友達も一緒に勉強できるのに…、という意味の歌です」と教えてくれました。

 そもそも植林活動の延長線上には「村おこし」的なものがあるとは想定していました。将来的には学校で植林の大切さを学んでもらうことも視野に入れ、僕たちは校舎の建設を計画に入れました。しかし、それは簡単な事業ではありませんでした、その時はこれから難問と感動がセットで待っていることなど、とてもとても想定していませんでした。<以降明日へ(写真は資料映像)>

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2009年3月 1日 (日曜日)

ネパールで学校を作った思い出(前篇)

Nepalchildren002  「ワンコイン・スクール・プロジェクト」というニュースを見ました。小学校の児童がコツコツ資金を集め発展途上国に小学校(校舎や図書類)を贈る事業のことで、発端は仙台市立広瀬小学校の呼びかけで始まったということです。僕は心がほんわかと温まりました。

 そもそもは広瀬小PTAが発案し、アルミ缶回収やバザーなどあくまで児童中心の活動で資金を集め、NPO法人「アジア教育友好協会」を通じて校舎の建設を進めるという計画だということ。早速都内などの3校も発起人に加わって、年内にも第一号校舎がラオスの山岳地帯に建つんだそうです。こういったリレーションは建物だけではなく、活動そのものの価値や付随する国際人流など多くの副産物を生むことだと期待しています。

 実は僕自身もそんな経験を持っています。ちょうど20年ほど前のことでした、ネパールを対象にした国際ボランティア団体を立ち上げたのです。
 僕はネパールでは植林伐採が進み乳児死亡率が異常に高いという話を、当時JICA(国際協力事業団)で現地に3年以上派遣されていた友人から聞かされたのです。ショックでした、僕の兄も生まれて2年後肺炎で死んでしまい、僕自身会ったことがないという辛い経験もありました。聞き流せなかったんですね。

 話すと長いのですがいろいろ経緯があって、数か月後にはNGOを立ち上げました。当初は意思に共感した社会人のおっさんおばさんばかり8人で、結局僕が年長だったので代表ということになりました。代表になったものの勝手がわからず、ドラッガーの書いた「非営利団体の経営」などむさぼり読んだのは懐かしい思い出です。
 最近とは環境が大違いで、「ボランティア」という言葉もあまり浸透している段階ではない頃でした。当然資金繰りには悩みましたが、当時の郵政省がボランティア貯金という制度を始めたばかりで、そこからの配分金を受けられこれは大変助かったものです。あとは有志達の手弁当という形で苦労しながらもそれなりの実績をあげてきました。

 飲み水確保、あるいは洪水防止の植林活動は、数年の時を経て『村おこし』になりました。後から思えば当然の成り行きでした。僕たちは村民の「生計向上」を目指していたからです。当初は航空料金も宿泊費も自費でしたが、何度も何度もロイヤル・ネパールに乗りカトマンドゥ国際空港に飛びました。10年を過ぎても活動は非常に順調で、その後我々の団体はNPOとして認められました。

 思い出しますね、そうスタート地点、「なんでわしらが木を植えにゃいかんのや」とか、「フン、木を植えたって自分が死ぬまでには金にならんわな」という、主に年配者たちからの露骨で頑強な抵抗にあって苦労したことを。
 考えあぐねた結果でした。各農家に配った果樹の苗木が彼らのモチベーションを上げて大成功し、果実栽培などでインド人が直接買い取りに来るようになり生計が上向いて、子供たちが家事や農作業から徐々に解放されてきたのです。大変良いことですが知らず知らずのうちに今度は校舎が不足していたのです。

 その頃、手掛けていたカブレ州のパンチュカール村の人たちから「学校が足りないので何とかならないか」という話がありました。活動当初、登校できる児童たちは村全体で2割にも達していませんでした。一言で言うとすべては貧困のなせる技でした。 

 僕たちは定例会議でその年は現地視察の時に学校を回り、現状は一体どうなのか徹底的に探ることを決議しました。<以降明日へ(写真は資料映像)>

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