2009年12月29日 (火曜日)

飛弾山の質屋とざしぬ夜半の冬

Okuhida001  飛弾山の質屋とざしぬ夜半の冬

 これはご存知与謝蕪村の句です。飛騨地方は昔「飛弾」と書きました。夜半の冬は冬の深夜を指しています。冬の入り口、奥飛騨山中を夜半に尋ね歩くと質屋がひっそりと閉まっている。それを見ていると冬の寒さが一段と身に沁みる・・・、というような感じでしょうか。質屋というのがいかにも寒々しさを表しているような気がします。

 昔に比べれば寒さはもう比較にならないほど緩く、暖かくなりました。でも、三が日はぐっと冷え込むそうです。今年もあと2日、どうぞ風邪などお召になりませんように。

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2009年12月28日 (月曜日)

雪国のひと

Yukiguni001  坂本冬美さんの『雪国~駒子その愛~』というCDのジャケットにこの写真がありました。何となくムラムラと描きたくなりパステルと水彩とペンで一気に描いてみました。実はこの曲自体聞いたことがないのですが、なんとなく雪国の、小さな居酒屋の若い女将のような雰囲気が良かったのかもしれません。でも、坂本冬実さんには全く似てない顔になりましたね、まっ、いいか。

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2009年12月27日 (日曜日)

石川遼クン、来年の準備も順調の様子

Ryou006  この写真は昨日撮影したものですが、若干説明が必要です。

 撮った場所は埼玉県の松伏(まつぶし)町の中央公民館玄関ロビーです。だから後ろに町の掲示物が見えます。写っているのはタイのバンコクから来られたダンサーとそのスタッフたち。彼らはタイ観光局から重大な任務(?)を受けてここにいるわけです。
 
 ロビーの奥のホワイエでは石川遼クンの写真展『ROAD TO MASTERS』が開かれていました。今年一年の活躍を写真で見せるという企画で、早速僕たちも出かけたわけです。午後からは宮里美香さんも交えてのトークショーもありました。残念ながら僕たちは予定外の情報だったし、整理券を持っていなかったので入れませんでした。(会場の何人かに聞いたところ、多くは彼のファンクラブの方がショーを見ることになりそうだと言っていました。そういえば地元の方は少なかったようです)写真展は大盛況で、僕もスズメの涙以下のチャリティをしてきました。そのついでにそこから歩いて15分くらいという彼のご自宅と練習場も拝見させてもらいました。

 で、さっきのタイの方々、こちらはその石川遼クンがタイ政府から特命大使に任命されたことを受けてのイベントがあったようです。
 日本人観光客の落ち込みを憂慮した同国観光庁は、タイで行われるアジア、欧州対抗団体戦「ロイヤル・トロフィー」(来年1月8-10日)に2年連続で出場する遼クンを「タイ・ゴルフ観光親善大使」に任命しました。昨日はその就任式が行われたということでした。
 「サワディ・カッ」と慣れないタイ語で話しかける僕に、彼らはたくさん写真を撮らせてくれました。そして、この中に女装した男が3人いるよ・・・などと笑って教えてくれました。僕は記憶はあいまいですが、たしか「はるな愛というニューハーフのお笑いタレントが、今年タイの美女(?)コンテストで優勝した」というニュースを思い出し、「知ってる?」と聞きましたが誰も知りませんでした。日本で勝手に騒いだだけだったようですね。

 さて、石川遼クン、年頭にチョンブリ県アマタスプリングスCCで開催の「ロイヤル・トロフィー」が終了してからも、そのコースでミニミニ合宿をする意向を示しました。そうですね、せっかく行くんですし、暖かいし、コースの名誉会員になれたんですからね。ご自宅の練習場やそういったチャンスを生かし、良い環境で練習を重ねて来年もみんなに元気を分けてほしいな。
<下の写真は写真展の様子>
Ryou005

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2009年12月26日 (土曜日)

5年前の悲劇、「TSUNAMI」の記憶

Tsunami004_2  ちょうど5年前の今日、つまり2004年12月26日、現地のスマトラ島バンダアチェ時間7時58分(日本時間9時58分)、スマトラ沖・スンダ海溝を震源としたM9.0の巨大地震が発生しました。この地震はインド洋一縁の諸国に大津波となって陸地を襲い、12ヶ国で30万人を越える死者・行方不明者が発生するという未曾有の災害となってしまいました。

 その時僕が住んでいたのはマレーシアのペナン島、バトゥー・フェリンギというビーチを見降ろすコンドミニアムの12階でした。
 昼食を食べているとそこへ近くに住むから知人から電話がかかってきました。
 「なんだか様子が変だ。ランカウイでは津波で大きな被害が出ているという情報があった。注意したほうが良い」と。
 僕たちはバルコニーに出て100メートルほど離れた海を見ました。すると午後1時ころ、海がわずかに波立つ様子が観測され、直後に津波の第一波が確認されました。その後わずか数十分の間に、バトゥー・フェリンギ海岸だけで数十名の方が亡くなるという悲劇が起きてしまいまったのです。

 僕は津波を確認後すぐに海岸通りに降りて行きました。現場はさぞパニクッているんだろうと思いきや、人々は恐ろしく静かでした。叫び声のない静かなパニックは、彼らがどれほどの恐怖を味わっているかを説明するのに十分でした。その静けさを打ち破るように消防自動車や救急車のサイレンが聞こえました。それらは人の群れで通れなくなり、立ち止まったままサイレンを鳴らす音だけワンワンと辺りに鳴り響きます。現場では海から引き上げたばかりの遺体が歩道上に並び、惨状は映画で見た戦争映画のようでこれが現実であることを理解するのに時間が必要でした。Tsunami005_2

 悪いことが重なりすぎました。日曜日の真昼だったこと、この時期学校が期末休みで子供連れがたくさん来ていたこと、現地の人たちは服を着たまま泳ぐ習慣があったこと、地震に対するインフラ(監視員やサイレンetc)もなく・・・、などですが、最悪だったのは「TUNAMI」というコンセプトがなかったことでしょう。もう数十年地震のなかった国では学校でも教えませんでした。第一波が岸に押し寄せ、引く波に持って行かれたバッグや履物を取りに行ったまま戻れなかった人もたくさんいました。本当に悲しい出来事でした。

Tsunami003_7    あれから5年、亡くなった方のご遺族はまだ忘れることはできないでしょう。それほど悲惨な災害でした。国や州があの教訓を生かし、これから二度と起こらないように災害防止策を取れば亡くなった方の魂も浮かばれるでしょう。でも、僕が見た限りでは乱開発に心血を注ぐ姿ばかりで、恒久的な緊急対策など手をつけていないようです。
 いまでも僕の心の中には、消え去らない小さな傷があります。海外から来ている人はもっと北部のフェリンギビーチの海岸でひと時を過ごします。ペナンのある程度豊かな層はプールというファシリティがあります。あのバトゥー・フェリンギビーチで泳ぐのはそれ以外の方々ばかりでした。神はなぜこういう不条理な行為を人に与えるんでしょうか?
 罪もなくお亡くなりになった方々に、心より哀悼の意を表します。
Tsunami006
 
<現場写真上から、直後、海岸に置き去りになった主のない履物。2枚目=歩道上の遺体、3枚目=数時間後、家族の安否を気遣う人たち、4枚目=直後に海から引き揚げた人を救急車に運ぶ>

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